那賣佐(なめさ)神社
島根県出雲市にある那賣佐神社は、葦原醜男(あしはらのしこお)命と須勢理姫(すせりひめ)命をお祀りする神社です。
ご祭神の葦原醜男命は、大国主命の別名です。
神話では、大国主命が若い頃、大己貴命と呼ばれていましたが、兄神である八十神達によって2度絶命します。2度目の蘇生のあと、大己貴命は母(刺国若比売命)から木の国へ逃げることを進められます。しかし、八十神たちは木の国まで追いかけてきます。
木の国の大山毘古命は、スサノオ命にかくまってもらうよう助言します。
大己貴命は、助言に従ってスサノオ命の元へ来ます。
そして、スサノオ命が治める出雲へとやってきます。
そこで、出会ったのがスサノオ命の娘である須勢理姫命。
二人はたちまち恋に落ちてしまうのです。
その舞台が、以前紹介した岩坪明神の場所であります。
スサノオ命は、大己貴命の経緯を聞き、
「お前があの葦原醜男か」と、言ったそうです。
そこで、大己貴命の別名として葦原醜男が使われているのです。
↑ 那賣佐神社の由緒書
↑ 那賣佐神社から更に登ったところは、尼子氏の十砦の一つに挙げられる神西城址もあります。
ここから岩坪明神までは、東南方向へ徒歩で15~20分程度のところにあります。
↑ 二の鳥居
↑ 一の鳥居から230段の階段があるそうです。結構な斜度もあり、休憩しながら登りました。
↑ 2枚 出雲型狛犬さん 境内は高い木々に囲まれており、狛さんたちも良い感じに苔むしていました。
↑ 拝殿正面
葦原醜男像について
大国主命の姿を思い浮かべるとき、皆さんはどのような姿を思い浮かべるでしょうか?
打ち出の小づちと、大きな袋を担いで、ふくよかな体型で、大きな福耳と云ったイメージではないでしょうか?
↑ 大国主命のイメージ (マウスで手書きなのですみません(-_-;))
神話では、神様の住むところを高天原と云い、人間の住むところを葦原の中つ国と云いました。
言い換えると、葦原=日本とでもいいかえることが出来ると思います。
では、醜男はどうでしょうか?
一つは字のごとく、醜いという意味があるかと思います。
大国主=大己貴は、ここ出雲の地へ来るまでは、兄神たちに荷物持ちをさせられて、一番最後をトボトボと歩く。でも、傷ついた白兎をしっかりとした方法で治療する知識のある人であります。
体力や武力が他の兄弟たちに比べて低く、頭脳明晰なインテリなイメージがします。
つまり、醜い=弱々しいと云う意味だったのではないでしょうか?
もう一つは、スサノオ命が大己貴命に対する心意的イメージです。
須勢理姫命は、スサノオ命の子供たちの中で、唯一母の素性が分からない姫と云われています。
そのため、ある書籍では、須勢理姫命は身分の低いところの出身では無いかとも云われたりしています。
しかし、私はこの那賣佐神社や岩坪明神を参拝して、そうでは無いと思いました。
↑ 拝殿と本殿
↑ 境内にある伊邪那岐社
須勢理姫命が住んで居た岩坪明神や、この那賣佐神社の位置がとても重要な位置にあります。
スサノオ命は、斐伊川の中流域にある雲南市の木次~奥出雲を拠点にしていたオロチ退治をしたことにより、出雲の地を治めていくのですが、島根半島側には手を付けていません。
スサノオ命と稲田姫命の息子である八島士奴美神が国引き神話で語られる、「国引き」をしたことによって、島根半島は出雲の地になったからです。
ですから、出雲の境界線は長浜など無い状態で考え、神西湖の南岸、宍道湖の南岸、中海の南岸になると考えられるのです。
そうすると、この那賣佐神社の位置は、国境最前線。しかも、スサノオ命の治める古出雲国の北西の玄関口(港)であったと推測できるのです。
当然そんな重要拠点でスサノオ命と共にいる娘です。
目に入れても痛くない娘だったのではないでしょうか?
そんなところへ、兄弟から逃げてきて、しかも大事にしている娘が一目ぼれした男。
スサノオ命の心意的状態からしたら、大己貴命はさぞみすぼらしく、弱々しい醜い男に見えたのではないでしょうか。このスサノオ命の心意的イメージが葦原醜男と云わせたのではないでしょうか?
(年頃の娘の居る父親には気持ちが分かるかも・・・)
↑ 本殿
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